気仙沼の部下や同僚と飲む
あれから1年
家族や家をなくしても頑張ってる
自分は・・・
はやてに乗って ふなくち 飲んで
まー 日曜日だし
勘弁ね
はるか山並みには残雪雪が美しい
はやてには100ボルトコンセントもある
先頭車両はカワセミのクチバシ
なんとも素晴らしい生物模しゃ技術だろうか
男子が惚れる機能美です
トンボの羽を模しゃした風車は風速0.5メートルでも発電できる
ウインドサーフィンのセールも真似れば素晴らしいのができそうだ
1時50分には気仙沼に到着
大船渡線は のどかな風情
桜はちり気味だが八重桜は満開
宿は
日曜だからこそ空いていただけ
月曜日以降は満杯
仕事が長引く可能性があるが
宿が取れない
さて
気仙沼の海岸線に向かって歩いてみよう
魚市場にも
できればあのボランティアで瓦礫の撤去した家も見てみたい
まづは気仙沼でよく行った飲み屋があるかどうか?
生き残っていた
海彦
いろり
頑張って下さい
そして低い市街地へ
復興商店街
紫
プレハブの商店街が何連か出来上がっている
しかし
住民が居ない復興商店街
見学に来る人がたよりの様子
それが現実だ
すでに昼時を過ぎてしまった商店街は食堂がもう店じまい
空いてたコロッケ店に入る
コロッケ3つと生ビール!
店の人と話す
すると、近くにいた おっさん が声をかけてきた
「どっからきたんだい」
「千葉からです」
それから話がはずんで・・・・
ビールいっぱいおごってもらって
おっちゃんは地元でタイヤキ屋さんをやっているそうだ
コロッケ屋に来ていた子供
顔は知っているけど名前までは思い出せないらしい
お母さんがやってきて
「あ!タイヤキ屋さん」
そこで1年ぶりの再会の挨拶
生きてて良かったねぇ
感動の再開
そろそろ先に進まなくてはならない
おっちゃんに さいならして市場に向かう
フェリー乗り場
港町ブルースの歌碑が無残
にへし曲がっている
街灯の鉄筋が全てへしおれて横たわっている・・・
港に大島からのフェリーが入港してくるのを見ながら歩いていたら!
カーン!
向う脛を激しく強打(倒れている鉄パイプに気が付かなかった)
激しい痛みが頭のてっぺんに突き抜けた!
これが被災地の現実だと思い知ったよ
高台にあるプラザホテルを見上げると
なんら被災しなかったようにも見える
しかし
港の低い部分はもう何も無い
あってもコンクリの頑丈な建物だけが一階部が突き抜けてしまったものばかり
基礎部だけしか無い広野だ
しかし
魚市場は立派な姿で建っている
2
階部分はプロムナード、遊歩道になっている
が
誰もいない
一番先端まで歩くと
あの 家が見えた!
昨年ボランティアで行ったあの家
まだ一階部分にはブルーシートが張ってある・・・
唐桑半島も見渡せる
あれから1年かぁ
だれも居ないプロムナードを歩き道に出れば
広野が広がるのみ
そこを今夜の宴がある魚民に向かう
そして
そして突然の人事異動で別の部署なる部下との再開
新しい部署の面々と飲む食う
浦霞が旨いねぇ
帰りは復興住宅に住む品質保証部長に乗せてもらってホテルへ
翌日は
最後の人事考課面談
引継ぎの打ち合わせ

16時には寂しいバス停から高速バスに乗って仙台へ
仙台には定刻の18時30分に到着
大和田さんと飲む
酒談義に花が咲く
元気にやってる様子
土日は鬼頭温泉付近で渓流釣りしてたらしい
9時30分ころのはやてに飛び乗ってなんとか24時30分に帰宅
明日は会社ですが、気持ちの良い2日間だったぁ
皆がんばってます