災害ボランティア
やります
GWの2日前の27日から会社休んで
工場のある気仙沼
でも26日になって、人事考課の指示が・・・・
面談が必須なんですが
リーマンショック前までは実際に会っていたのに
その後はTV会議システムでしかできなかった
今はそのTV会議も通信不能で無理!
ここで被災した彼らに会わずしていられようか
褄を亡くした部下も居る じかに話しても遠くを見るような・・・・・・・PTSDが心配だ
5月28日に結婚を控えていた部下も居る
こんな時になんと会社でエロ画像を見てて摘発された部下もいる
ああなんてこった
さて
27日は移動480kmくらいか、6時37分に出発
柏のマックバリューで買い足ししてから宮城工場に14時到着
仙台から先は段差が多い東北自動車道でしたが問題なし
本吉に近づくといきなり周囲の風景が・・・
ボロボロの家屋、枯れ果てた竹・・・
今走って来たところは何ら地震の被害なしだったのに・・・
宮城工場に上がる坂
曲がり角も不明なくらい地形が変化している
流された道を修復して
ようやく道が付いた
自衛隊や土砂運搬のダンプが行きかう
工場の被害は軽微だった
しかも社員は全員無事
いつものようにこの時季 桜が満開である・・・
今日は工場長はじめ数人の社員の家族の葬儀だが
お寺も被災していて
参列お断り
瓦礫の山の中
参列者の車も駐車できないのである
人事考課もほぼ終了
28日は災害ボランティア
何となくどんな事をやるやら不安な感じをいだきながら
「からくわ荘」気仙沼の半島の一つの先端にある国民宿舎にて宿泊
先に宿泊しているボランティアに情報を聞きあさる
さあ
明日はどうなるか
28日
気仙沼の駅前に近い道を行ってみる
しかし、倒れた家屋、焼け爛れた家屋、瓦礫
そして何ともない町並みが・・・
ほんの数メートル差で混在する
ボランティアセンターで受付9時10分
ボランティアコーディネーターの五十嵐さん
人が依頼人数に達するまで待つ
人数が6名でリーダは地元の若いボランティア
実家は流されたが自分は横浜に在住しているそうだ
現場は彼の出身小学校のすぐ近く
社員の一人もここで被災し、家が根本から引っこ抜かれて流され
お子さんもこの地区の小学校で被災したが無事だったそうだ
南郷地区の小野寺さん
廃油処理業者さんです
玄関に隣の屋根が突っ込んでいる状況
10時すぎから
ドロや家事道具を家屋の中から運び出す
しかし、きつい臭い
重油につかった隣の工場から流れてきたサンマやカツオが畳の下に敷き詰められている!!!!
あまりにもひどい臭い
サンマ、カツオの重油浸け畳蒸し なんて食えたもんでは無い
臭い付き重い畳・・・
これを
撤去する!
狭い屋内なので二人でこれを持ち出す
自分より高齢のかたも居て二十代前半の2人と自分が畳み運び
家の中で平スコップで板の間をジャリジャリやる
床一面に4cmくらいの厚みのヘドロがたまっているのだ
カーペットも水と油がしみこんでいる
金庫運搬は午前中の一大イベント
昼食はリーダー君が良く遊んだ川のほとりに腰掛けて
眺める光景は
桜が満開・・・
川の中に家、屋根にかもめが多数
その横に船
その向こうの土手に桜並木
毎年ライトアップされ桜祭りが行われていたそうだが
午後はオイル入りのドラム缶と仏壇の洗浄
仕切りが上手い若いリーダ君
なかなかやるじゃないですか
3時に終了
俺も次は同じ以上しっかりしなけりゃいかんな
29日
母の誕生日
まずは災害ボランティア
9時に集まると昨日よりもはるかに多い人数
いよいよ本格的にゴールデンウイークのボランティア渋滞か
それでも十分すぎる仕事がある
そんな中、コーディネーターが「男何人何々の仕事あります!」と集団の中で言うと
周囲の人が手を上げる
この呼びかけがあると、多数の手が上がっているので
遠いところだと無理
やり方はこれで良いのか?
との声もありますが
整列して端から「いかが?」条件的に無理な場合はパスしながらも順番に決めて行くのも良いのでは
とも思うが
並んでいると少し自分に無理がありそうな作業でも順番待ちの人に遠慮してむりむり引き受けてしまう場合がありそうです
挙手する方法は基本的に積極的に自分から申請するのだから無理にはなりにくい
ただ、仕事にあぶれたくなくて無理に手を上げてしまう場合があるが
整列して振り分けるよりも無理が起きにくいとも言えるかもしれない
まあコーディネーターの裁量によりいろいろあるかもな
この日は昨日の場所に近い家屋
壁の洗浄
人数は6人
コーディネータが用意した現場の状況ノートにある必要物資の調達
スコップ、ねこ、バール、水タンク、ブラシ、ホース、バケツ
貸し出し表に員数チェック、さらにノートに無いものも気を利かして持っていく
作業靴の中敷も踏み抜き防止のタイプを貸し出してくれる
自分は全て用意して行ったが、怪我しないようにボランティアセンターには多数そろっている
物資は足りているのだ
昨日の経験から本日は赤い上着を着るリーダーになって皆さんを引っ張る
休憩の時間設定、物資の員数確認、健康、怪我のチェック
本部との連絡、状況報告
水道がようやく来た三上さんの家
1階の天井近くまで泥水が押し寄せた
屋内の瓦礫は以前のボランティアが撤去した
後は家屋の洗浄
壁にあるドロの痕跡
デッキブラシでごしごしやるしか無い
一般家庭でやるはずも無いこの作業
基礎に割れが見られる
床が少し傾いていて流した水が溜まる所がある
昨日よりは蒸し暑くは無いが、4,50分で10分ほどの休憩を入れる
部屋ごとに人を配置して作業にかかる
トイレはなんとくみ取り式
そこに天井までの水・・・
壁はもうくそみそ汚れって事か
すでに2ヶ月近い間、乾燥しきっている
今後 床には消毒作業が必須だな
依頼人はここが実家で母親が暮らしていたそうだ
何とか母親はこの家にまた住みたいとの事
地盤が下がってはたして今後ここに住んでよいのか?
行政の対応を待っていても羅知があかない
今できることをやるしか無いのだ
さあ、本日も3時に終了
今日のボランティア作業で知り合った栃木の青木君
我体がでかいのにオペルのワゴン車で寝ているそうです
寒い、雨でうるさい、朝周囲が騒がしい
ボランティア疲れが溜まりつつある
そこで、国民宿舎に誘った
ここは風呂もしっかり入れるし食事もしっかり取れる
まあリセットしてはいかがでしょう
って事
しかし、この「からくわ荘」5月から国が仮設住宅の作業員を宿泊させるのと
どっかの大学のシンポジュウムが開かれるのでボランティアが締め出される状況になってる
でも国はその予定を半月先送りして
今まで断っていたのにハシゴを外されてしまった状況
支配人もぼやいていた
ボランティアセンターから少し離れているのだが、高台でまったく被災していないので電気水道が戻ったので十分営業できる状況
北側の海岸線に行ってみると被災した跡は見られない岩場の崖っぷち
遠くに大船渡が見えるはずだ
さらに歩いて御崎神社まで行ってみた
ゆっくり風呂に入って飯食って、酒飲んで
この青木君、バイク乗っててスキーもやる45歳
弟と同じ歳だ
話が合ってバイクかスキーでまた会おうと言う話になった
朝6時45分に起床
なんと朝風呂にまで入れる
贅沢な話だが、その分地元に宿泊費で還元
遊びのキャンプ、車中泊じゃ、無理しても良いけど
ボランティアも体が資本だし
自分はキャンピングカーで食事の物資も十分持ち込んでいますが
宿が取れるなら取れるだけ宿泊しようと思っている
本日も延泊できるか交渉してみたら
シンポジュームでいっぱいだけどなんとかOKとのこと
宿を出て、突端の船着場の先に自衛隊の輸送船「しもきた」が停泊している
ここから双発の大型ヘリが発着するヘリ空母のような艦艇
この船は被災地域支援物資をどんどん送り出す基地になっているのだ
大型ホバークラフトも搭載している
孤立地域上陸もできる
さらに、唐桑の被災した「コメリ」を撮影
さて本日はどんな作業か?
9時前にセンターに到着
もう駐車場は満車に近い
ぬかるみの駐車場に入れる
声を上げそうなコーディネーターの動きを読んで近づく
依頼内容が出るとすぐに自分ができる作業かを判断して手を上げる
もしくは先に手を上げて考えてから手を下ろすのもあり
瓦礫撤去の作業7名!
はい!
青木君も同じ作業に入った
「誰かリーダーさんになってくれませんかぁ」
自分「やります」
本日もリーダーです
副リーダーは青木君
今日はなんと子供連れの人がこの仲間に入って計8人
十分気をつけないとならない
子供が怪我したらいかんからなぁ
早速に必用機材を集める
現場のお宅には重機があって大きいものは依頼主さんが運搬してくれるそうです
ねこは一つ、スコップ人数分か
その他いろいろ、貸し出し台帳に記入
今日入るところは気仙沼市場の対岸
震災当時は、津波と火事と道路の破損で孤立
舗装道路上に「SOS」が書かれている
小野寺さん宅に到着
軒下まで津波が入った
さらに自分の家の船が発火し、庭木周囲まで燃えたが、何とか家は大丈夫だった
本日は目の前の田んぼ脇にあった下水の側溝の上にうず高く積もった瓦礫の撤去
さて・・・?
奥さんしかいませんが、重機は?
「運転お願いします」・・・って
俺か
しゃーないな
クローラーダンプって言うキャタピラの付いている小型耕運機のようなものに荷台がついているしろもの
運転は難しいわけでは無いが、初めてだし、実際には大荷物を入れて相当な重さになる
運転ミスで事故起こしたら大事だ
リーダーがやるしか無いか・・・
旦那さんも仕事があるので午後にならないと帰ってこないらしい
よっしゃ
エンジン始動!
ここは周辺住民の支援物資が集まる場所
瓦礫が無くなれば排水もできるし、車が出入りしやすくなるのだ
まずは家の残骸の柱や壁、そして土砂
少しづつだが撤去されていく
しかし、問題が
雲行きが怪しいのだ
まず雨が来るのは間違い無い
子供もいるし高齢者もいる
濡れる作業は禁物だ
作業は確実に速やかに、無理せず実施
センターには早めの撤収を連絡し、2時20分に送迎を依頼
午後、ポツリポツリと来るが何とか隠れていた側溝が現れ
なんと当初の予定以上に進ませる事ができて、排水も回復した!
そして道具を洗ったところで車が到着、移動中に雨脚が強くなった
読み通りだ
本日も無事終了
このお宅から見える気仙沼市場は地盤沈下で潮が満ちて水没するため使い物にならない・・・
リーダーは作業報告書作成
当初の予定作業日数は3日としていた
これ以上はGWになるのでボランティアももっと増える
さらに雨の予報だ
よって明日は
北上して普代あたりまで行って視察し
仙台の大和田さんとわこう君のと飯、酒でも飲むか
帰る途中、唐桑半島の高台、「いさり火パーク」に登ってみた
すばらしい眺めなのだが・・・
明かりの付かない気仙沼、小さな港には沈んだ家が見える
この丘の上にはボランティアさんのキャンプ場がある
吹きさらしでさぞかし寒い事だろう
がんばってくれ!
昨日遅くに多数のボランティアが到着
実は気仙沼のボランティアはGW中の新たな受付をしないとホームページで出しているそうだ
しかし、来る者を拒んでしまってはあんまりだ
単に集中を避けるためのアピールであって
実際には問題無く受付てくれた
夜はシンポジュームで大騒ぎ
昨日までは食堂も1/3しか使ってなかったけど
いっぱいです
まあそれも経済効果だろう
帰宅(国民宿舎)途中で購入した、地酒の男山 「福宿」ふくやどりをいただく
さて5月1日の宿はR&Bホテル
なにしろGW
大和田さんに多数教えてもらって
電話をかけまくって何とか空きがあったのだ
朝はいつもの通り起きる
御崎の先端まで行ってみる
どんよりとした空
雨がぱらつく
晴れ晴れしい気持ちでこの風景が見られる日はいつ訪れるのか・・・
陸前高田、大船渡、釜石方面に向かう
普代村は昔バイクで行った思い出がある
しかし、ナビで確認すると
んー
遠すぎ
釜石あたりで引き返すか
山間部を通る道はなんら問題ない
陸前高田
一面
家屋がまったく無い
4階を越える位置まで津波が押し寄せた
残った僅かなビルにくっきり傷跡が残る
そして瓦礫が海岸線にうず高く積まれている
これが日本なのか・・・
気仙沼とは違う
何も無いのだ
荒涼とした平地
まるであの中国の敦煌へ向かう4000mの荒野をバイクで走った時のような
しかし、つい2ヶ月前まで人が生活していた空間なのに
釜石は鉄の街
活気があったであろう場所は
まだ電気が来ていない所が多く、信号が動いていない
製鉄所はすでにいくつも炉の火が消えていたが
今は全て機能していなであろう
しかし、ある場所からは何も無かったかのように町並みが残る
そのまま遠野に向かう事にする
遠くの山には残雪が残る
雪解けしたばかりの遠野
黒い土質
家屋は北海道に多いサイロ風の屋根が多い
川ぞいにはまだつぼみの桜並木が延々と続く
民話の里
でも街はけっこう大きくて一般的な市街地
周辺は牧歌的風景
そこで、カッパ淵に近い伝承園の脇の駐車場で自転車を下ろしてサイクルロードを走る事にする
カッパ淵のあるお寺ではちょうど葬儀があって見に行くのが憚られたが
すみの方から行かせてもらいました
その後、猿ヶ石川に沿って走る
雪解けで少しにごっているが小川のせせらぎと言う感じ
土手が低く川の流れが近い
サイクルロードは周回するコースで20km近くあるので途中でエスケープして10km程度で切り上げたが
けっこうきつい
変速機なしの自転車は遠乗りには向かない
途中の茶屋でおしるこをいただく
さあ、そろそろ仙台に向かわないと
まだ100km近くあるのだ
高速道路はガラガラ
予想到着時刻から30分早く18時にホテルに到着
大和田さんと連絡を取ってまずは居酒屋へ
そしてショットバーまで行って
少し飲みすぎで終了
わこうくんは仕事があって来れませんでした
電気設備の仕事は復興事業とあいまって忙しいのだ
大和田さんはデイケア系の仕事
預かったお年寄りを帰宅させる時刻より少し早い時間の地震と津波だったため
移動中に被災することが無く人的には大丈夫だったそうだが
電気、水、食料が無い中
数日間職場で過ごさなくてはならなかったとの事
両親は被災しなかったけど
避難地域ではないが原発に近いため大変だそうです
仙台も空港付近のひどい状況が伝えられますが
市街地は非常に活気があって何事も無かったように見えます
若干歩道などは波打ってますけどね
さあ人生を楽しまなきゃ
亡くなられた方々の分まで・・